2024/08/28
“東京の夏”から3年。パリで行われたオリンピックが閉幕し、8月28日からパラリンピックが開幕する。
この3年間、世界中のトヨタアスリートが最高峰の舞台を目指し、努力を重ねてきた。私、森田京之介もトヨタイムズスポーツのキャスターとして、彼らの姿を追い、パラスポーツと向き合ってきた。これを機に少し振り返ってみようと思う。
トヨタイムズスポーツは、東京2020オリンピック・パラリンピックが開催された2021年7月23日にトヨタイムズ放送部としてスタートした。
コロナ禍で無観客の開催となり、世界中から東京に来るアスリートに応援の声が届かない。こうした状況を踏まえ、豊田章男社長(当時)は、世界中のトヨタアスリートのお父さんとして「勝ってこい」というメッセージで選手たちを激励、応援する場として生まれたのがトヨタイムズ放送部だ。国境や競技の枠を超えてオリンピックが開かれる17日間、応援の輪を広げるべく毎日放送を続けた。
だがオリンピック終了後、「よし、次はパラリンピックだ!」と簡単には言えなかった。パラリンピックのアスリートも同じように応援したいはずなのに、「パラスポーツってどうやって応援したらいいんだろう?パラアスリートになんて声を掛けたらいいんだろう?」
健常者である自分が障がい者に対してどんな言葉を使うべきなのか、表現や伝え方に迷う自分がいた。それだけパラスポーツに対して無知だった。恥ずかしながらほとんど触れたことがなかった。豊田社長に相談した。
「彼らはスーパーヒューマンなんだ。そこにはオンリーワンのストーリーがある。それを伝えてほしい」
こんな言葉とともに、フィリップ・クレイヴァン氏に話を聞いてみるよう言われた。
クレイヴァン氏は、前の国際パラリンピック委員会(IPC)の会長で、豊田社長から声をかけ、会長退任後にトヨタの社外取締役に就任した。
自身も車いすバスケットボールのイギリス代表選手で、パラリンピック出場経験もあるクレイヴァン氏に、パラリンピックをどう見ればいいのか聞いてみた。
「パラリンピックでは、最も純粋なスポーツの姿を見ることができる」
返ってきた答えはシンプルだった。
片足に義足を付けた選手が11秒を切るタイムで100メートルを駆け抜ける姿に衝撃を受けるだろうと予告した。
スポーツ観戦の醍醐味の一つは、想像を超えるような動きやプレーを見る瞬間だ。確かにすごそうだ。
では、何が「純粋」なのだろうか。インタビューの最後にこんなことを言っていた。
フィリップ・クレイヴァン
パラリンピアンは、優れたアスリートであると同時に、すばらしい人間でもある。彼らは多くの不可能に直面しながら挑戦し続けてきた人たちだ。
ぜひパラリンピックで彼らと接して、皆さんも人生に挑んでほしい。そして前に進み続けてほしい。
「挑戦し続ける」
アスリートに共通するこの姿勢こそ、クレイヴァン氏が「純粋」と表現したパラスポーツの魅力なのではないか。
不可能を可能にしていくスーパーヒューマンのオンリーワンのストーリーを楽しもうと思った。
もう1つずつ、2人から教えてもらったことがある。
1つは、パラスポーツは、「公平に競う」というスポーツの根幹を追い求めて常に進化していること。平等ではなく、公平だ。障がいの重さが全く同じということはほぼない中で、どうやったら同じように競い合うことができるのか。
クレイヴァン氏が携わってきた車いすバスケは、障がいの程度による持ち点に基づいて、コート上にいる5人の選手を決める。障がいの重い人ほど持ち点が低く、軽い人ほど高い。
5人の合計が14点以内におさまるようにメンバーを選考するため、障がいの重い人と軽い人が同じチームで闘うことになる。互いの違いを認めながら、全員が活躍できる場が用意されているのだ。
イギリス代表時代のクレイヴァン氏(中央)
もう1つは、パラスポーツは「ヒトと道具が融合して闘う」こと。
ここにトヨタがパラスポーツを厚く支援する理由があると豊田社長は言った。
義足を使う選手、車いすに乗る選手、道具の性能が勝負を分けることだってある。だからこそ、モノづくりの企業が果たせる役割が大きい。クルマという道具を使って競い合うモータースポーツの世界とも共通点が多い。
アスリートだけでなく、道具に関わる人々の存在もパラスポーツのストーリーを厚くする。多くの仲間と支え合いながら、「勝つ」ために精一杯努力することは、スポーツの醍醐味そのものだ。フィールドで闘っているアスリートは独りじゃない。
もちろん、これで全てがわかったわけではない。
東京2020パラリンピックが始まってからは、頼もしい助っ人が番組を手伝ってくれた。
リオ2016パラリンピックの陸上4×100メートルリレーで銅メダルを獲得した佐藤圭太選手と芦田創選手。自身は出場を逃した悔しさを抱えながらも、アスリートキャスターとして多くの競技を紹介し、トヨタの仲間を一緒に応援した。
佐藤選手(左)と芦田選手
芦田選手は、自身の競技でもある走幅跳で両足義足の選手が片足義足の選手を上回る記録で金メダルを獲得したことについて、いかに技術的に難易度が高いことをやっているか、解説。
また、「障がいは個性ではない、個性的なものとして捉えていけるかが大事。障がいで『できない』ことを経験して、そこから『どうだったらできるのか』が大切」と話し、障がいとの向き合い方、それがスポーツになったときにどう立ち向かっているか、教えてくれた。
佐藤選手は、「義足のネジの締め方ひとつでタイムが大きく変わってくる」とパラアスリートにとっての道具の重要性を語った。
あるヨーロッパの選手のためにモータースポーツに関わるメンバーがハンドサイクル(手でこぐ自転車)の開発を行ったエピソードに触れたときには、アスリートと開発者の本音のコミュニケーションが大事だと強調。納得感をもって競技に臨めることが結果につながるというリアルな声を届けた。
約2週間の東京2020パラリンピックで、パラスポーツのいろんな楽しみ方を教えてもらい、実際にこの目で見てみたくなった。この3年間で触れたパラスポーツのストーリーをいくつか紹介したい。
①ジャパンパラ陸上@京都(2022年5月)
初めて競技場で見たパラ陸上。最も印象に残っているのが、100mで追い風参考ながら自己ベストを上回るタイムを記録した佐藤圭太選手。
スタジオでの穏やかな表情からは想像できない迫力ある走り、そして何より、走り終えた後ブレード*を肩にかけて自信ありげにインタビュー場所に登場したときの姿は眩しかった。
*スポーツ用の義足でバネのような板になっている
手術で右脚を切断した直後は義足を隠したいと思っていた佐藤選手だが、パラ陸上で活躍するアスリートが堂々と義足で走る姿に背中を押され、高校から陸上を始めた。このときの佐藤選手は誰よりも堂々としていた。
ジャパンパラでは、走幅跳の芦田創選手の競技後のインタビューも記憶に残っている。
「試合展開」という言葉が何度も出てきた。パラスポーツとしてではなく、走幅跳という競技の奥深さを芦田選手には後日たくさん聞かせてもらった。走幅跳は「メンタルゲーム」だという。
②U25車いすバスケットボール日本選手権@豊田(2023年1月)
東京2020パラリンピックで日本が銀メダルを獲って話題になった車いすバスケットボール。その代表メンバーも多く出場する大会を取材したが、その音と激しさに圧倒された。
車いす同士が平気でぶつかり合い、何度も転倒する。自分で立ち上がる。上半身だけで放つ3ポイントシュートが何度もリングに吸い込まれていく。障がい者スポーツということを忘れて試合を楽しんでいたら、健常者も一緒に試合に出ていることに気がついた。
先述の通り、車いすバスケットボールはコート上の5人の中で障がいの程度のバランスを取る。当人に話を聞くと、チームの中で自分だけが健常者だという意識はないそうだ。「子どもも一緒のコートで、リングを狙ってバスケットをする。中には60歳を超えた人も一緒のコートでプレーする。年齢も性別も障がいも関係なくできるスポーツだ」と語っていた。
車いすバスケットボールにおける車いすは、野球のバットと同じ、スポーツの一道具にすぎない。しかし、その道具を使いこなす世界トップレベルの技がそこにはあった。
③高橋峻也やり投げ合宿@沖縄(2023年2月)
走幅跳の芦田選手は「助走が極めて大事」と話していたが、やり投げも同様だ。高橋峻也選手いわく「助走が8割、投げが2割」だという。
右腕に障がいがある高橋選手は、助走時に左右のバランスを取る必要がある。助走でスピードに乗り、タイミングよくリリースすると、やりは遠くに飛んでいく。高すぎても低すぎてもいけない繊細な競技だ。
元球児という経歴を聞くと、ボールを投げるのと同じ要領でできそうだと考えがちだが、全く異なるそうだ。野球はリリースの瞬間が視界に入るが、やりは見えないところでリリースしなければならない。
大学から始めたやり投げで、社会人2年目の22年には日本記録保持者となった。
キャッチボールをしながら高橋選手に話を聞いてみた。
驚異的な成長を支えたのは、「健常者の10倍努力しろ」という父の言葉。「障がいがあるのに野球なんてやりたくない」と思っていた高橋少年の背中を押した。
甲子園までたどり着くほどの努力を重ねた。強くあり続けるように支えてくれた父親に、パリで闘う姿を見せる。
④柔道グランプリ@代々木(2023年12月)
視覚障がい者柔道、通称パラ柔道の国際大会を取材した。
審判の腕に触れながら両選手が入場し、組み合った状態から試合が始まる。
オリンピックで見る柔道は組み手争いが多く、いい組み手になったときにきれいに技が決まりやすい。最初から組み合っているパラ柔道の面白さは、いつ技に入ってもおかしくないドキドキ感だ。
見どころは試合だけではない。
トヨタループス所属の半谷(はんがい)静香選手は、ロンドンから3大会連続でパラリンピックに出場している全盲の柔道家だ。
目が見えないのに、どうやって技を覚えて練習しているのか。「触る・感じる・試して、話す」 の3ステップを踏むそうだ。コーチの体に触れながら動作を確認し、力の向きを感じてから、コーチに実際に技をかけてみて、フィードバックをもらう。動きの一つひとつを分解して、どうやって技がかかっているのか詳細に分析する。
健常者として柔道に携わってきた磯崎祐子コーチは、自分がこれまで「なんとなく」でやっていた動きに気がつき、そこに面白さを感じたという。見えないからこそ見える世界がある。柔道という競技の本質に、より迫っているのかもしれない。
⑤パラアルペンスキーW杯@札幌(2024年2月)
7年ぶりに日本で開催されたパラアルペンスキーのW杯。
パラリンピック6回の出場を誇るレジェンド森井大輝選手は、自身の滑りと言葉で次世代のスキーヤーに多くのことを伝えた。
崖にも見えるような急斜面を、一本のスキー板の上に乗ったチェアスキーが猛スピードで滑り降りてくる。世界トップレベルの闘いを日本で披露した森井選手は、W杯にあわせて開催された若手パラスキーヤーを対象にしたスキーキャンプで子どもたちと触れ合い、次世代育成にも取り組んでいた。
事故で下半身に障がいが残り、自暴自棄でリハビリに後ろ向きになっていた森井選手の目に、長野1998パラリンピックで活躍するアスリートの姿が入ってきた。「チェアスキーをやれば昔の自分に戻れるかもしれない」と競技に取り組むことを決意した瞬間、リハビリはトレーニングに変わったという。
子どもたちの中には、森井選手と同じように事故にあって、障がいを抱えて間もない学生もいたが、彼が笑顔で次の一歩を踏み出している姿にスポーツの持つチカラを感じた。
⑥鈴木朋樹の特別授業@晴海西小中学校(2024年7月)
3年前、東京2020パラリンピックに出場した鈴木朋樹選手は、ユニバーサルリレー*で銅メダルを獲得してパラリンピックメダリストになった。
大会のクライマックス、最終日の車いすマラソンでは、雨の降る東京の街を駆け抜け、7位。東京・晴海に作られた選手村に、メダルではなく悔しさを持ち帰った。
その選手村跡地に新設されたのが、晴海西小・中学校だ。
7月8日、鈴木選手は3年ぶりにこの場所に戻ってきた。全校生徒約1100人の集まる体育館に車いすレーサーで颯爽と登場すると、館内を猛スピードで駆け抜け、初めて車いすレーサーを見る子どもたちを熱狂させた。
*障がいの異なる4選手がタッチで次の走者につなぐ混合種目。東京2020パラリンピックで初採用
特別授業では、車いすレーサーづくりを担当したOXエンジニアリングの小澤徹さんとトヨタの橋本紘樹さん(BR GT開発室)と一緒に、この3年間の取り組みを紹介した。
絶対王者、スイスのマルセル・フグ選手に勝つために、フルカーボン仕様のレーサーを開発。鈴木選手はワガママになって要望を伝え、開発チームがそれに応える。本音のコミュニケーションを重ねてつくり上げた車いすレーサーで、「金メダルを獲って戻ってくる」と子どもたちに約束した。
授業が終わって、ふと思ったことがある。この日、鈴木選手を障がい者だと感じた子はいただろうか?上半身ムキムキのカッコいいお兄ちゃんにしか見えなかったのではないか。
私には、虎視眈々とメダルを狙うスーパーヒューマンにしか見えなかった。
「ロンドン2012パラリンピックでは地鳴りのような歓声が聞こえた」
佐藤圭太選手が言っていた。8万人のスタジアムが満員になったそうだ。
当時イギリスのテレビ局が制作した「Meet The Superhumans」というトレーラー映像が話題になり、イギリス国内でパラリンピックが大きく盛り上がったと言われている。実際、ロンドンマラソンに出場した鈴木朋樹選手は、街中で声を掛けられることも多く、ロンドンの人々の意識の変化を感じているという。
「障がいがあることで、その競技の難易度が上がる」
芦田創選手が言っていた。スポーツには公平に競うためにルールがあるが、それはときに記録を出すための制約になったりして、その競技の難易度を調節している。スポーツにおいては、パラアスリートが抱える障がいもルールの一部で、それを乗り越えようと闘う姿は、スポーツの醍醐味そのものではないかと思う。
この3年間、夢舞台を目指すたくさんのトヨタアスリートの声を聞いて、その努力を見てきた。
残念ながらその舞台に届かなかった選手もいる。しかし、その過程で発するメッセージ一つひとつがどれも強烈だった。彼らの言葉をたくさん届けたいと思った。
3年前に迷っていた自分はもういない。彼らの世界を知れば知るほど、アスリート以上にアスリートらしい姿が見えてくる。パラスポーツを知ることから始めて3年、もっとスポーツが好きになった。パリ2024パラリンピックで生まれる新たなストーリーが楽しみだ。
スーパーヒューマンたちが純粋にスポーツを楽しむ姿を目に焼き付けてこようと思う。
そしてその姿を言葉にして伝えていくつもりだ、今度は迷いなく。
トヨタイムズスポーツ
キャスター 森田京之介
パリオリンピック・パラリンピック
,パリへの道
,パラアスリート
,パラスポーツ