2024/11/10
「インドアバレーからビーチバレーへ転向したのは五輪に出場するためです」
2016年夏、橋本涼加は小さい頃から掲げてきた夢を叶えるために主戦場をインドアからビーチへ変えた。
2017年8月には「ビーチバレーのイロハを背中で示してくれた」という先輩の溝江明香とジャパンツアー平塚大会で初優勝をつかんだ。国内最高峰の高さ、持って生まれた才能を爆発させたデビューイヤーだった。
課題にあげられていた調子の波がなくなってきたのは、東京オリンピック予選が目前に迫ってきた頃。出場権は得られなかったが、「コートでやみくもに声を出すのではなく、目の前の1点をとることに集中できるようになった」と自身の変化を感じ取っていた。
一皮むけた橋本は、「勝ちたいという気持ちすら雑念と捉えて、自分が成長できるかに軸足を置く。それが結果的に勝利につながるように」と念頭に置き、2021年夏から村上礼華選手(ダイキアクシス)とパリオリンピックに向かって前進してきた。
そんな道のりにおいて もっとも厳しい戦いだったのは、2024年のパリオリンピックアジア大陸最終予選だと話す。「日本代表として勝たなければいけない試合。いつも応援してくれる方のためにも絶対に勝ちたかった」。見事、日本にパリオリンピック出場権をもたらした橋本は「この経験を通じてもっと成長できるかもしれない」と思えたが、アスリートとして真剣勝負に挑むのは今季が最後と決めていた。
迎えた今日の最終戦では「最後まで笑ってコートに立っていたい」と願っていた。優勝を飾るとたくさんのサポーター、仲間たちに見送られ、その言葉通り笑顔でコートを去った。
「最終目標だったオリンピックには行けなかったので満足はしていないけれど、自分に納得して競技生活を終わることができた。次のステージでは大学院で学んだことを活かしていきたい」。
そう話した橋本の凜とした瞳には、新たな決意が宿っていた。
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