2022/06/20
6月15日に配信されたトヨタイムズ放送部は、スーパー耐久の富士24時間レースと、トヨタが5連覇を果たしたル・マン24時間レースを特集した。レーシングドライバーの脇阪寿一さんをゲストに迎え、2つの24時間耐久レースの結果を徹底解説。クルマづくりの最先端の現場から、計48時間分の情熱と興奮をギュッと圧縮して伝えた。
6月4・5日に行われた富士24時間レースでは、放送部も24時間ライブ中継を敢行した。その余韻は10日経っても冷めやらず、脇阪さんはいつにも増して軽快なトークを展開。TOYOTA GAZOO Racing(TGR)のアンバサダーであり、トヨタとサーキットを知り尽くしているからこその、深いエピソードが次々と飛び出した。
番組では、水素エンジンカローラ(32号車)とカーボンニュートラル燃料で走るGR86(28号車)を中心に、レースの模様を振り返った。ピット内のVTRも交え、スタートからの時間経過とともにポイントを紹介。レース当日は水素カローラのドライバーとして激走した石浦宏明選手も、チャットにコメントしながら放送を見守っていた。
注目のポイントの一つが、ドライバー同士の関係。交代する際のコミュニケーションや、ピット内での立ち振る舞い、スタートドライバーを務めたモリゾウ選手と豊田大輔選手の父子のやりとりなど、潜入VTRだから見ることのできるシーンが満載だ。
特に、チーム内でのライバル関係は見逃せない。けっして個人で争うレースではないのだが、同じクルマに乗るからには、タイムの差はドライバーのプライドにも関わる。
たとえば、WRCドライバーとして最多出走記録を持つヤリ-マティ・ラトバラ選手と、モリゾウ選手。なぜかライバル関係のようになっているこの二人の、ガチンコ勝負の行方は? レース後の会話に注目だ。
スーパーGTでは異なるチームで競い合う大嶋和也選手と関口雄飛選手も、同じ28号車に乗った。 同い年のライバルがまだレースをしている最中に、スタジオ出演で勝利宣言をすることができるというのも、プロドライバー同士ならではの興味深い場面だ。
「この歴史にはモリゾウさんのいろんな悔しさが詰まっている」と、森田京之介キャスターは説明する。生産終了した80系スープラで練習をスタートし、世に出したクルマも台数限定だったり他社との協業だったりと、さまざまな悔しさが次へと進む原動力となった。
技術を継承し続けて、今回の富士24時間やその先に続いていく歩みを「モータースポーツを起点とした、もっといいクルマづくりの現場になっていることがわかる」と森田キャスター。事前の特別番組で脇阪さんから勉強した知識を披露していた。
脇阪さんは「この辺はトヨタ社内の方々でもまだまだわかってない方々が多いと、モリゾウさんは言われていました」と話す。事前授業の詳しい内容は、富士24時間の直前に放送した特別番組や、トヨタイムズの記事を見ていただきたい。
今回のレースは全てが順調だったわけではない。28号車は夜間(スタートから約11時間後)にミッションのトラブルが起こり、2時間以上ピットでストップした。
その時のピット内でメカニックやスタッフが奔走する様子も紹介され、脇阪さんは「ネガティブ要素ですけど、これは普通の6時間のレースでは出なかったこと。トラブルが出て、そのミッションが改良されて皆さんの元にフィードバックされることは、すごく意味がある」と解説した。
32号車も早朝にスピンしてタイヤバリアにヒットし、ピットストップを余儀なくされた。昨年の全日本ラリーチャンピオンである勝田範彦選手が失意のままクルマを降り、その背中にポンと手を当てて迎える片岡龍也監督。再びクルマがピットを出るのを見届けると、メカニックに深々と頭を下げ、あふれる涙に目頭を押さえる勝田選手。モリゾウ選手からタスキをつなぐことを知らされ、勝田選手が語る感謝の想い――。今回の放送の最大のハイライトかもしれない。
「ここでクラッシュしたから、チームの温かみも経験したし、メカニックたちもクルマを直す経験ができたし、何よりも人としての絆が生まれた。これが24時間レースです!」と脇阪さん。
レース以外の見どころは、夜9時に起こった、モリゾウ選手の放送席への“乱入"。放送部では舞台裏の映像も公開した。驚いて直立不動になる脇阪さんの反応速度は、さすがのトップドライバーならではの速さだった。
ほかにも、視聴者や放送席を爆笑させたアスリートキャスター小塚崇彦さんのリポート、コメントに頻発した「チョコモナカジャンボ」の秘密など、紹介しきれなかった話題がたくさん。時間に余裕のある人は、24時間ライブ中継のアーカイブもぜひ見返していただきたい。
TOYOTA GAZOO Racingは、最上位クラスで2年連続のワンツーフィニッシュ。平川亮選手らの8号車が優勝、連覇をねらった小林可夢偉選手らの7号車が2位に入った。トヨタの2台はレース開始から他を大きく引き離し、5年連続の総合優勝を達成した。
盤石に見えるトヨタのル・マン挑戦だが、ニュルから富士への道のりと同様に、悔しさを積み重ねてきたからこそ、今の栄光があると言える。その歴史についても、特製のすごろく風イラストで解説した。
スタートの2016年は、中嶋選手の5号車がトップを走り優勝確実と見られていたが、残り5分で失速してリタイア。中嶋選手からの「ノーパワー」という無線とともに、悲劇として語り継がれている。
3台体制で臨んだ2017年は、2台がリタイアし、中嶋選手らのクルマも2位がやっと。選手たちに「ゴメン」と謝った豊田社長は、あえて彼らと一緒に表彰台に立った。本来なら社長としては2位の表彰台に立つべきではないのだが、これは選手に寄り添う姿勢の表れだと、脇阪さんは推測する。この表彰台の数十㎝の差という悔しさが、原動力となって翌年以降の5連覇につながった。
2017年ル・マンの表彰台
ドライバーと代表の二役をこなした可夢偉選手の奮闘ぶりにも、放送部はスポットを当てた。ときには実況中継に“乱入"するという、モリゾウ譲りのパフォーマンスも公開された。
現地のカメラは、自分がドライバーとして乗る7号車が止まるシーンがモニターに映り、がっくりと肩を落とす瞬間の可夢偉選手も捉えていた。結果的にはこれが1位と2位の差になったのだが、ドライバーとして徐々にその差を詰めていく可夢偉選手。「チーム代表として諦めるなということを、ラップタイムでチームを引っ張ったのだと思う」と、両方の立場を知る脇阪さんは説明していた。
レース後のコメントも、ドライバーとして2位に終わった本音と、代表としてワンツーフィニッシュの喜びを、それぞれ的確な言葉で表現。豊田社長から「兼務は複雑な気持ちになる役割。大変な役割をありがとう」と労いの言葉を受け、ル・マン100周年の来年はもっと強いチームをつくる決意を語っていたという。
来年のル・マン24時間はライバルチームが増え、6連覇に向けてより厳しい戦いが予想される。それでも、2017年に豊田社長が2位の表彰台に立った時に約束した、表彰台の一番上に連れて行くという目標を実現するために、可夢偉選手を中心にチームのさらなる進化が期待される。
脇阪さんが注目していたのは、レース終盤にファステストラップを更新していった7号車の追い上げ。可夢偉選手も乗っていて気持ちよかったそうだ。この時間帯のコンディションやセッティングについても、エンジニアがデータを集めて、もっといいクルマづくりに活かされることを脇阪さんは期待していた。
「24時間レースの中では、課題が出ることも大切ですが、ドライバーが気持ち良く乗れたタイミングが分かることも大事。TGRのクルマづくりは、お客さんを笑顔にする、乗っていて楽しいクルマをつくりたいわけですから」と脇阪さん。クルマと人を鍛える耐久レースの魅力は、まだまだ語り尽くせない!
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