2025/08/27
夏、真っ盛り。
今年もさまざまな競技が、さまざまな場所で、夏の暑さにも負けない熱戦を繰り広げている。
8月末には社会人野球の「都市対抗野球」も始まり、硬式野球部レッドクルーザーズも出場する。(初戦は8月30日)
そんなレッドクルーザーズの選手たちも数年前(数十年前?)、憧れ、時に喜び、時に涙し、目指してきた、すべての高校球児の夢の舞台、“夏の甲子園”。23日、決勝が行われ、沖縄尚学が初の頂点に立ち、19日間にわたる熱戦は幕を閉じた。
今回のトヨタイムズスポーツは、「夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)」をテーマにした特別回。
野球やソフトボール、モータースポーツにパラスポーツ…。幅広くアスリートたちの活躍を追いかけるトヨタイムズスポーツが、高校野球の聖地「甲子園」へ(取材日は準々決勝が行われた第13日)。熱戦の余韻に浸りつつ座談会を実施した。
スピーカーは、トヨタイムズスポーツでアスリートキャスターも務める竹内大助、パリ2024パラリンピックの陸上・やり投競技で6位入賞を果たした高橋峻也選手、そして森田京之介キャスター。
日本学生野球憲章の冒頭、学生野球の基本原理には、こう書かれている。
「学生野球は教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成を目的とする」
トヨタも創業以来、スポーツを人材育成の場として大切にしてきた。ネバーギブアップの精神や自分以外の誰かのために戦うこと、クルマづくりにとって大切な価値観をスポーツを通じて学び、人が育っていく。
人生において「夏の甲子園」が大きなターニングポイントになったトヨタの従業員3人。「夏の甲子園」を通じて学んだことや、その後のキャリア形成に与えた影響などを語り合った。
森田
まずは自己紹介と、甲子園との関わりみたいなものを竹内さんから行きましょうか。
竹内
高校は愛知県の中京大中京で、甲子園は2008年のセンバツに出場しています。その時は初戦敗退(記録上は2回戦)で、相手は明徳義塾(高知)です。
竹内大助 トヨタ硬式野球部OBで、現在はトヨタイムズスポーツの制作に携わる
夏は愛知大会の準決勝で愛知啓成に負けて、夏の甲子園には出られませんでした。そこから慶應義塾大学で大学野球に移りました。
大学では主に投げ始めたのは2年春から。初勝利がノーヒットノーランです。そこから3年間で22勝して、プロ指名届けを出したけど指名されず、トヨタに入社しました。
そこからは主にリリーフで登板していて、登板はしていませんが、14年に日本選手権優勝。16年に都市対抗、翌年の17年も日本選手権で優勝しました。
森田
それが人生で初めての日本一ですか?
竹内
そうですね。日本一になって18年限りで引退。そこからは母校の慶應大学に助監督として3年間トヨタから出向していました。
森田
助監督を経てトヨタに戻ってきました。現在は?
竹内
今はトヨタイムズスポーツで、アスリート出身ということもあって、伝える仕事もしていますし、番組をつくる仕事もします。だから、つくる側、伝える側、両面からトヨタイムズに関わる仕事をしています。
森田
続いて、高橋峻也さん、お願いします。
高橋
トヨタ自動車の元町工場 統括部に所属しながら、パラ陸上のやり投をしています。
森田さんと竹内さんも応援に来てくださいましたが、パリ2024パラリンピックで6位入賞を果たすことができました。
高橋峻也 パラ陸上やり投F46日本記録保持者。パリ2024パラリンピック6位入賞の元高校球児
森田
目の前で見ていました。
高橋
本当に目の前で(笑)。
高橋
野球歴は、小学校3年生から高校3年生まで。
3歳から右腕に右上肢機能障害という障害があって、その影響で今は肘が曲がりません。みなさんと比べて腕は前後半分ぐらいしか上がらないという障害があります。
その中で3年生のときに野球を始め、父親に教わり「グラブスイッチ*」という技を習得しました。
*(高橋選手の場合)左手で捕球。腕を伸ばした状態で右手でグラブを外し、左手でボールを抜き取って送球する投げ方。
境高校時代の高橋峻也選手。障害のある右手にグラブを持ち変えて左手で投げる
ちょうど今回の夏の甲子園では、同じ障害を持っていてグラブスイッチをしている選手がいます。その子と同じようにグラブスイッチを駆使して、高校3年生のときに鳥取代表(境高校)で夏の甲子園に出場しました。
ですが初戦で明徳義塾と当たり、負けてしまいました。
そこで自分の高校野球生活…というか野球人生ですね。それが終了しました。
森田
でも夏の甲子園のグラウンドに立ったわけですね。
高橋
ライトを守っていたんですが、シートノックも受けて、ライトからホームまでの景色っていうのは、何て言うのか…、それまでの球場とは違った景色でした。ちょうどお盆休みで、ほぼ満員の観客、歓声だったんですけど、その中で片腕しか使えない自分がプレーできたっていうのは、今でも本当に大切な思い出になっています。
試合は残念ながら、あと1人ランナーが出れば代打で出場だったんですけど、ネクストバッターズサークルで野球人生を終えました。
キャプテンがホームランを打った景色と、必死に健常者の中でずっとやってきて、本当につらい経験もあったんですが、それがネクストバッターズサークルで終わった瞬間の記憶は鮮明です。
「ようやく終わった」よりも「まだできたな」、「もっとやれることがあったんじゃないか」っていう気持ちがありましたね。
森田
障害がある中で、野球を始めることも続けることも高いハードルがあったと思います。そこから甲子園出場。
何度もハードルを乗り越えてきたのに「まだやれることあったんじゃないか」って思った?
高橋
最終的には甲子園でプレーをしたい、片腕でプレーをしているところを、みんなに見てもらいたいというのが、一番の目標でした。鳥取大会では夏の甲子園を決めたときもライトを守っていたこともあって、甲子園でプレーできなかった悔しさがネクストバッターズサークルでありましたね。
森田
そこで野球はひと区切り。
高橋
大学入学と同時に愛知県に来るんですけど、そこでパラリンピックのお誘いがありました。やり投を始めたのは、そこから。
100mかやり投の選択肢があったんですけど、外野手だったこともあって肩に自信があったので、まずはやり投をしてみようと。
森田
最初やってみたときはどうでした?
高橋
全く違いました。投げるものが長い。2メーター60センチあるので、技術的にも違いますし、使う筋肉であったり体づくりも違う。すごく戸惑いました。
最初に投げたときは20メートルとか25メーターぐらいしか飛ばなくて。肘もケガをしてしまいました。
ボールからやりに持ち替え、今や日本記録保持者に
森田
大学でやり投を始めて、最初から目標はパラリンピック出場。東京大会は?
高橋
残念ながらランキングが一つ足りず…。また“バッターボックス”に立てませんでした。
森田
東京2020パラリンピックから3年経って、パリの出場権を獲得。あの舞台はどうでした?
高橋
甲子園の比じゃないくらいのプレッシャーと歓声がありました。
でも甲子園を経験して良かったなとは思っていて、(パリで)理想の動きだったり、力が発揮できたのは、夏の甲子園の経験があったからじゃないかなと思います。
「甲子園に片腕で出た選手が、パラリンピックで力を発揮できないはずはない」と言い聞かせていました。
森田
今回甲子園に来たのは、出場したとき以来?
高橋
はい。16年以来ですね。
当時は、球場がすごく広く感じていました。「ホームランなんか打てるのか?」という感じだったんですけど、今見てみるとちょっと狭いなって。
でもこの観客の声援は、やっぱり甲子園でしか味わえないものですね。
竹内
僕は大学生のときに一度。「オール早慶野球戦」っていう現役の早慶の選手とOBを交えてやる大会が定期的に行われるんですが、大学1年生のときに出場して以来ですね。それが09年なので16年ぶり。
森田
16年ぶりの甲子園の景色はどうでしたか?あんまり心を動かされないタイプの竹内さん。
竹内
僕は外から見た方が広いなと思いました。
基本的にピッチャーなんで、キャッチャーと向かい合う18.44メートルの景色がメイン。今日スタンドから俯瞰したとき、やっぱり広い球場だなと。
高橋
森田さんは甲子園とどんな関係があるんですか?
森田
そこなんですよ。今日何でここにいていいのかっていうことですよね。
…まず、甲子園が大好き。
森田京之介 トヨタイムズスポーツキャスター。前職はテレビ東京アナウンサー
竹内
「好き」で来られる?
森田
好きだけじゃ来られない。
説明すると、僕も小学生の頃から野球をやっていました。甲子園も行きたいなと思っていたけれど、中学・高校が軟式野球部しかなくて、もうその時点で甲子園には行けない。
軟式野球を続けていた高校2年生の夏、実家が横浜にあったので、友達に誘われて神奈川大会の決勝を見に行ったんです。
初めて高校野球を生で見たときに、自分と同世代の子たちが、超満員の横浜スタジアムでものすごい応援を受けながら野球をやっている。「何なんだこの世界は?」とめちゃくちゃ衝撃を受けたんですよね。
竹内
それは悔しさとかじゃなく?
森田
悔しさとかではなくて、自分がやっていた野球が違うものに見えた気がしました。
「すごい世界があるんだな」と感じて。その試合が横浜高校対横浜商大(横浜商科大学高校)の決勝。別にどっちを応援するとかもなく、純粋に楽しんでいたんですけど、終わった後に、すごくモヤモヤして「これは甲子園に行った方がいいな」と。
もっと見たい。「あの子たちがこの先、本当に目指しているところで戦う姿を見たい」と思って1人で夜行バスに乗りました。
横浜商大のアルプススタンドに混ざって一緒に応援しようと。そうしたら相手がまさかの明徳義塾。
高橋
また(笑)。
森田
03年です。明徳義塾の前に横浜商大は初戦敗退しました。
でも甲子園で見た野球は、横浜スタジアムで見たものとまた違う。アルプススタンドからピッチャーまでの距離がすごく近く感じて、ここが聖地と呼ばれる理由がわかった気がしました。
大学生になっても野球をやっていたんですけど、行けるときは夜行バスで見に行っていました。
06年決勝、斎藤佑樹投手(西東京・早稲田実業)と田中将大投手(南北海道・駒大苫小牧)の投げ合いを現地観戦
就職活動するときも、高校野球に関わる仕事がしたいなと思って、いろいろ考えたんですけど、喋ることが好きだった。
何か喋る仕事と思ってアナウンサーがいいかなと。朝日放送だったら甲子園の番組で喋れるなと思って、アナウンススクールに通ったりしました。
ただ朝日放送はダメだった。同じ日の夜にテレ東(テレビ東京)から内定の連絡が来て(就職を決めた)。
そこからはいろいろな経緯があって、トヨタ自動車に転職することになって「もう喋る仕事はやめようかな」と思っていたら、豊田章男会長から「喋っていいよ」。
そこで毎年東京ドームで都市対抗野球の実況をしています。
ただ甲子園に来たのは、僕も久しぶりです。
竹内
いつ以来です?
森田
2015年からは来ていないかな。
高橋
2016年*は来てないんですね。残念。
*高橋選手が境高校で出場したのは2016年大会。
竹内
僕らはグラウンドの中にいたときと、外から見た景色の違いが分かりますが、森田さんはずっと外から見ていて、それも時間が経っている。今見て何か変化はありますか?
森田
いや変わらないね。
天然芝と土のコントラスト。水を含むと色が変わる土。攻守が変わると球場全体から拍手が送られる感じとか。こういうのは、変わらずスペシャルですね。
森田
今日はそんな自分たちの経歴ばっかり喋ってもしょうがなくて。
「あなたにとっての夏の甲子園」をテーマに話したいんです。
準々決勝を観戦
それぞれ夏の甲子園が人生に影響を与えたことは間違いないじゃないですか。だからそれぞれにとっての甲子園ということを大きなテーマとして喋りたいんですけど、流れで僕から言っちゃっていいですか?
森田
私にとって甲子園は「自分の本質を教えてくれた場所」だと思っています。
就職活動でアナウンサーという職業を志したとき、「自分の強みは何か」みたいなことを面接で言わなきゃいけない。そこで「何で甲子園が好きなんだろう」ということを掘り下げるわけです。そのとき最初に出てきたのは「本気」というワード。
高校生がなりふり構わず、とにかく甲子園に来たいがために、本気で努力して積み重ねてきたものを出し合って、ぶつけ合う。本気のぶつかり合いが見せてくれるもの。それが自分の心を動かしてくれるんだと思います。
甲子園という場所から感じ取ったものは、本気同士の戦いが、人を感動させたり、人の背中を押したりするということ。だからここに関わることで、自分も本気になれるんじゃないかと思ったのが一番。
「ここで本気でやっている人たちのことを伝える仕事。これを本気でやることは、自分の人生を懸けていいことなんじゃないか」と思ったのが、(アナウンサーを志した)一番のきっかけです。
これは今でも高校野球以外のスポーツの取材をするときでも、高橋さんの取材をするときでも同じで、「あなたの本気に迫りたい」。
「こんな本気があるよ」って伝えたいというのが、一番根本にあること。ここでいろいろな試合を見たり、甲子園について考えたりした中で、たどり着いた結論です。
本気の世界は別にスポーツの世界だけじゃなくて、トヨタ自動車にはクルマをつくっている人たちにもいろいろな本気がある。それを伝えることが大事なキーワードかと思っています。
竹内
トヨタイムズで森田さんと一緒に仕事をするようになって、森田さんがいろいろな人のところに取材に行くじゃないですか。するとスポーツに限らず、すべての人を本気で好きになって、のめり込む。その原体験が甲子園にある。
森田
「その人が人生を懸けてやっていることが面白くないわけがない」というのがポリシーです。
自分が全く触れたことがない競技もいっぱいあるんです。やり投もそうでした。
でも高橋さんが人生を懸けてやっているやり投が面白くないわけがない。だから自分の人生で見たこともない競技も、絶対に面白いことがあるという確信を持って取材に行くことができます。
高橋
パリのときも、どの試合も涙ぐんでいましたね。(その理由が)ようやく納得しました。
森田
じゃあ竹内さんは?
竹内
月並みですけど人格形成の場所。夏の甲子園で日本一になることを目標に、ずっと活動し続けた高校生活という意味で人格形成の場所だなと思っています。
というのも、中京大中京は当時も今も、日本で一番優勝している高校なんです。春夏あわせて11回優勝。(甲子園で)130勝以上していて全部日本一です。
だから、日本一にならなきゃいけない学校。入学したときから「日本一を目指すことが使命だ」と。逆に言うと、表現が良いか悪いかは別として、「日本一以外は価値がない」とされてきました。
愛知大会でも「決勝で負けるぐらいだったら、頼むから1回戦で負けてくれ」と選手全員が言われていました。1回戦で負けたら、それだけ次の世代に早く切り替えられるから。
各世代大事なんですが、常に日本一を目指さないといけない。日本一になるかそれ以外だから、センバツや夏の甲子園に出たら満足ではないという感じでした。
一見すると勝利至上主義みたいですが、それだけ本気でやるから、本気で勝つためにどうすればいいんだと考えるし、どうすれば成長するんだって考える。
毎日「今日よりも明日、明日よりも明後日成長するために何をしようか」と本気で考えるんです。常に改善しようとするマインドセットは高校時代に身に付けました。
準備と改善を尽くし社会人野球で初めての日本一を掴んだ
森田
最初にそのゴールがあって、そこから考える。
竹内
めちゃくちゃ明確ですね。「日本一になる」。
「(ゴールに対して)今日本一になれていない自分たち」。その差は何か。この差を具体的に細分化して、1個ずつ積み上げ、日本一になる方法を真剣に具体的に考える。それが野球部のカルチャー。
加えて、中京大中京に来て良かったと思っているのが、「豊田綱領」のような、学校が大切にしている「四大綱」という考え方があることです。これはスポーツではなく学校教育の考え方。
四大綱は、ルールを守る。ベストを尽くす。チームワークをつくる。相手に敬意を払う。
それはどんな仕事やスポーツでも、どこに行っても、どんな状況でも使える考え方。よく考えると、大学野球にも社会人野球にも、トヨタイムズの仕事にもつながっています。その意味で自分の人格をつくり上げる一番大事な場所だったなと。
森田
ただ結果として日本一になれなかった。
竹内
負けてすぐのときは「ベストを尽くしたよね」とか一切思わなくて、「何のための3年間だったんだろう」、「無意味な3年間だったな」っていうのが、終わった直後でした。
今ならあのプロセスは大事だったとようやく解釈できます。
当時は大学野球を目指して受験の準備をしていたんですけど、負けた後の1~2日は「3年間やって意味があったのかな」と思っていました。
森田
その経験はその後の人生にどんな影響を及ぼしています?
竹内
本気でやった経験があるというのは自信になりますね。高橋君がパラリンピックで「甲子園の舞台に立っているから」というのと近い感覚です。
あの3年間を過ごしているから、ちょっとのことでは何てことない。
森田
注いだ努力量と結果ということで、「私はこれぐらい努力するとこんな結果になる」というもの差しにはなったんですか?
竹内
そういう感覚はないですね。「努力に限りは無い」ってことは学んだことです。努力と準備。
ひたすら努力しますし、ギリギリまで準備と改善を尽くす。だから本番が終わる瞬間まで満足しないですね。
森田
確かに、一緒にトヨタイムズの仕事をするようになっても準備すごいです。
他のアスリートキャスターにも共通しています。三好(南穂)さんや竹中(七海)さんとかすごく準備してきます。「そんなにやってきたの」みたいな。
高校時代に身に付けた努力と準備。それはアスリートキャスターとなった現在も生きている
高橋
やっぱりアスリートだからですか?
竹内
準備不足で負けたっていうのが、めっちゃ嫌じゃない?
高橋
嫌ですね。
ウォームアップをちょっとミスってダメだったとか。試合前1週間の調整に毎日のルーティンがあるんですけど、それを何かしらで遮られてできなかったとか。一番嫌。
ライバルに負けるより嫌かもしれません。
竹内
やろうと思った準備を全部こなして、その上で結果が出た/出なかったは納得できる。
高橋
そうですね。
森田
高橋さんにとって、甲子園とはどんな場所ですか?
高橋
たくさんあるんですけど、自分の可能性をみんなに証明できた場所。自分が持っている潜在能力のようなものを証明できた。そういう場所だと思っています。
小さい頃から片腕で、健常者の中で闘ってきました。つらいことだったり、苦しいことだったり、差別されたことも何度もあったんですけど、自分を信じて片腕で頑張ってきて、目標だった夏の甲子園に出場した。
結果でみんなに可能性を証明したと思っています。
(境高校は)県立の高校で文武両道だったので、毎日練習するという学校ではなかったんですけど、そういったチームを変えたのは、自分で言うのも何ですが、自分だと思っています。
片腕しか使えない自分が、自主練だったり朝から晩まで練習している姿を見て、チームメイトも「負けられないと思った」と。自分の存在がチームを変えたと自負しています。
境高校時代に使っていたグラブ
森田
可能性を証明してやろうという考え方に至ったというのはなぜ?
高橋
一つはやっぱり昔から「片腕しか使えない状態で野球なんかできない」という言葉がすごくあった。「何で野球しているの?」と言われることも何度もありました。
そういった人たちに見せつけたい、甲子園という舞台に立ってプレーしている自分を見せたいということ。
あとは父親の影響ですね。父親は小さい頃からずっと「健常者の何倍も努力しろ」という言葉をかけ続けてくれました。
本当に厳しい父親で、先ほどの竹内さんと同じように、自分は父親との時間があるからこそ、それ以上に厳しいことはないんじゃないかと思っています。
竹内
強烈な親子関係ですね。
森田
「健常者の何倍も努力しろ」という言葉を、高橋少年はどう受け止めたんですか?
高橋
最初は「10倍以上努力しろ」と言われたので、単純に「健常者が100回バットを振ったら、1,000回以上振らないといけないな」と思っちゃって。怒られたくないから、もうやるしかない。
野球を始めた3年生のころの高橋選手
森田
なぜお父さんはそう言ったと思いますか?
高橋
やっぱり社会に出ていくにあたって、どうしても障害があると不利になったり、差別されたり、つらい経験をすると考えたと思うんです。そういったときに自分から立ち向かっていける、乗り越えていける人間づくりですよね。
小さいころから右腕が使えないことを理由にしたら、めちゃくちゃ怒られたんですよ。
例えばスキーとか、登山も、右腕が使えないから危ない、行かないって言ったりしたんですけど、そういう時も「行ってこい」。
野球の練習中も、父親が少年野球チームの監督だったので、自分だけものすごい勢いでノックを打ってきた。
姉が2人いるんですけど、姉2人に怒っているのは見たことがないですね。ただものすごく当たりが強かった分、今は一番のファンでいてくれているし、一番応援してくれて、本当にありがたい存在です。
森田
お父さんがそう言って、自分の可能性を証明したいというマインドになって、実際にこの場所に立って、すごいじゃないですか。
高橋
自分でもすごいと思いますが、周りの選手たちが頑張ってくれたというのもあるんです。ただその選手たちに火をつけたのは自分。よくやったなと思います。
森田
それでも試合終了の瞬間を迎えたときは「もっとやれたな」ってなったんですね。
満足しそうじゃないですか。「よくやったな」、「ここで終わったけど、よく頑張ったよ。甲子園にも来たし」って。そうは思わなかった?
高橋
思わなかったです。
久しぶりに甲子園に来て思ったんです。「やっぱり打席に立ちたかったな」って。打てる/打てないは別にしても、大歓声を浴びて打席に立ちたかったなって思ったんですけど、その悔しさは、パリで果たせたかなとも思っています。
森田
もし当時打席に立てていたら、そんな悔しさもなく、「よくやったな」ってなっていたかもしれない?
高橋
それは…。
竹内
思ってない。絶対なってない。
(バッターボックスに立ったとしても)打てなかったら…。
森田
「何で打てなかったんだ」ってなる?
竹内
ヒットを打っていたとしても、長打じゃなかったら…。
森田
「なんでホームランを打てなかったんだ」と? そういうものですかアスリートは?
竹内
たぶん甲子園で優勝している人たち以外は、みんな悔しさを抱えて終わるんじゃないかな。
優勝しても悔しさを抱えて終わる人はいるんじゃないかと思います。
トヨタには夏の甲子園で優勝している人もいるじゃないですか。福井章吾(大阪桐蔭)とか宮﨑仁斗(同)、春だけど熊田任洋(愛知・東邦)とか。たぶん彼らぐらいが満足する資格がある。
高橋
満足した時点で成長は止まっちゃうと思っています。陸上をしていても、やり投で言うとフォームだったり、いろいろ小さいことを変えていかないと(いけない)。
今は戦っている相手が海外のライバルで、やれることは全てやらないと勝てない。やっぱり満足はしないと思います、一生。
森田
そういう意味だと、「満足しないことを教えてくれた場所」でもあるんですね。
竹内
森田さんが、仮に夏の甲子園の実況をしていたら満足したんですか?
森田
1回喋ったとしても、「もっとしびれる試合で実況したい」とか、松坂大輔さんの春夏連覇*の瞬間を喋りたいなと思ってくるんでしょうね。
*1998年、松坂投手を擁する横浜高校が、当時史上5校目となる春と夏の甲子園を制した。
竹内
一緒じゃないですか。
高橋
一緒です。
竹内
きっと「決勝を喋って満足ですか?」と聞かれたら「いやもっといい試合で」となる。
森田
「もっといい言葉をなぜ出せなかったのか」って…。
竹内
だからきっと思考回路は一緒なんですよ。
森田
確かに、後でインタビューを見返して「何でもうひと押ししなかったんだ」「なぜあそこで止まっちゃったのか」「違う聞き方をした方が良かったな」というのは毎回思います。
竹内
実況なのか、野球、やり投という競技なのかっていう違いだけで、頭の中は一緒じゃないですか。
森田
やっぱりこれだけの人が熱くなる、スペシャルな場所だからこそ、ここに関わったことで得られた経験が、その先の人生に大きな影響を与えて、いろいろな人の人生にも影響を与えているんじゃないかなと。
私も久しぶりに甲子園に来ることになりましたが、2人が出場していたころや僕が見始めたときはスマホはなく、高校野球はテレビで見るしかなかった。ですが今は「バーチャル高校野球」というインターネットでのライブ配信があって、気軽にスマホで見られる。(この環境)高橋さんどうですか?
高橋
試合や合宿、練習で、なかなか(高校野球の)全試合を見ることは難しいんです。ですがけど「バーチャル高校野球」ならライブ配信だけじゃなくて、見逃し配信だったり、5分ぐらいのダイジェストで地方大会や注目の試合も見ることができるので助かっています。
僕と同じ障害を持ちながら出場している選手がいる今大会。もちろん彼のプレーも欠かさず全打席見ています。
森田
甲子園という場が生んでくれた、この対談。いろいろな話が聞けて、私は楽しかったです。高橋さんいかがでした?
高橋
本当に楽しかったです。森田さんは同期入社ですが、こういった入社の経緯とか、昔の話とか聞いたことがなかったので、昔の森田さんを知ることもできました。
竹内さんの高校時代の話もなかなか聞けないので、聞けて良かったです。
竹内
「現役時代を振り返ってください」と言われるケースでは、トヨタでやっていたときを振り返るとか、助監督をやったこともあって、慶應大学でのプレーを振り返るということは何回かあります。
ですが高校野球を振り返るっていうのは、これまでほぼなかった。そういった意味では、自分を振り返る貴重な機会だったなと思います。
全く毛色の違う2人と会話することによって、そんな世界もあるんだっていう気づきがあったのも良かった。
森田
私も元高校球児の話が聞けて、いち取材として楽しかったです。
残すは準決勝と決勝。「バーチャル高校野球」で見届けましょう!
森田・竹内・高橋
ありがとうございました!
【対談者プロフィ―ル】
竹内大助
1990年愛知県生まれ。中京大中京高時代に左投手として春の選抜に出場。慶應義塾大学野球部を経て、2013年トヨタ自動車入社。2016年都市対抗野球で社会人野球日本一を経験。引退後は慶應義塾大学野球部の助監督を3年間務める。現在はトヨタ・コニック・プロに出向してトヨタイムズスポーツの制作に携わっている。
高橋峻也
1998年鳥取県生まれ。パラ陸上やり投げの現役アスリート。パリ2024パラリンピック6位入賞。3歳のときの病気の影響で右腕に障害が残る。小学生のときに父の勧めで野球を始め、左手にグラブをつけて捕球、素早くグラブを右手に持ち変えて左手で送球する「グラブスイッチ」をマスター。2016年境高時代に夏の甲子園に出場し、大学からやり投げに転向。2021年にトヨタ自動車に入社後、2022年には61m24(F46)の日本記録を樹立。
森田京之介
1986年愛知県生まれ。トヨタイムズスポーツキャスター。2006年の甲子園観戦をきっかけにアナウンサーを志し、2010年テレビ東京にアナウンサーとして入社。スポーツ実況やNY駐在を経て、2021年にトヨタ自動車に転職。広報部に所属しながら、トヨタイムズのキャスターとしてスポーツを中心に取材を行う。
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